隆興七百四年。武陵桃源国 京兆((首都)永安(。
王の居城である紫霞宮(の一角で朝議に参与した長身の男は、漆黒の瞳を不愉快そうに細めて、居並ぶ朝臣たちを見回した。その眼光に恐れをなした者たちは慌てて首を垂れたが、彼の近くに座っている四人だけは、轟然と胸を張って視線を受け止めた。
不穏な空気を漂わせる黒髪の偉丈夫は武陵桃源国国王隆崇(。彼の視線に敢然と立ち向かっている四人は、宰相の苑墨(、尚書の陸由(、左将軍の玉祥(、右将軍の子儀(。
「…もう一度言ってみろ」
隆崇の低い声が冷ややかに参与している朝臣を打った。益々、他の者が身を竦めるが、重臣四人は意に介する風もない。苑墨が淡々と奏上した。
「近々、貴妃(を迎えていただきます」
「誰がだ?」
「もちろん」
そこで一旦言葉を切って、苑墨は端正な顔に周囲が凍えそうな程の冷淡な微笑を浮かべた。紫霞宮の女官たちが皆、陶然となる美貌だけに、その迫力は筆舌に尽くし難いものがある。平凡な人間であれば、間違いなく尻尾を巻いて逃げ出すところだろう。
苑墨は、その表情を崩さぬまま、ゆっくりと噛んで含める様に言葉を繋いだ。
「主上(に御座います」
「…一応理由を聞いておこうか」
「おや」
さらに微笑が深まる。
殆んど冷気の様なものを感じ取って、朝臣の全員が泣きたい気分になっていたに違いない。王の視線には平然としていた他の三人も、さすがに表情が引き攣っている。
朝議の場は、隆崇と苑墨の一騎打ちの様相を呈し始めていた。
「理由が要りますか?それでは、申し上げましょう。貴方様が武陵王(であらせられるからです」
「…それが理由になるのか?」
不機嫌な顔で隆崇が聞き返す。
武陵桃源国に於いて、王は世襲にあらず。常に禅譲(を旨とする。よって、王が妃を持つか否かは問題にならない。子を為しても、その子が王位を継ぐとは限らないからである。そして、武陵国ではどちらかと言えば、未婚に終わる王の方が民にも臣にも喜ばれる。子を為せば、人の情。我が子に禅譲したくなるのが親心でもあり、時に国が荒れる原因となった例があるのが、その所以であろう。
隆崇は獰猛に笑って、苑墨ら重臣四人を見返した。
「武陵王に妃は不要。それが慣例であろう?」
「慣例は法に御座いません」
今度は陸由が応じた。
「加えて、主上が妃を持たれることを望む声もあります」
「何処の誰だ」
生かしておかんぞ、という険悪な考えを暗に匂わせる質問に、だが、陸由は眉一つ動かさなかった。
無論、彼ら重臣四人も決して隆崇の逆鱗が怖くない訳ではない。何しろ王は絶対である。それでも、尚、平静に王と渡り合えるだけの切り札が、彼らにはあったのである。
再び苑墨が口を開いた。その微笑がもはや氷嵐の世界。
「西王母(様に御座います」
「げ…っ」
朝議の場が凍りつき、隆崇の表情が強張る。
西王母。その名の持つ威力は武陵桃源国、否、武陵国を初めとする数々の国々が存在するこの蓬莱(界においては王を遥かに凌ぐ。女仙の統括者にして崑崙(山の主。王の即位に際して、その旨の詔を発し、王に権威を授ける存在。唯一、王が逆らう事の許されない天界の住人である。
隆崇が天上天下唯我独尊を貫こうとしても、西王母の声には逆らえない。しかも、神仙が政には口を出せぬは世の理であるが、残念ながら王の婚姻は政には含まれない。
苑墨が、ようやく無表情に戻る。
「その様な訳で、諦めて主上には貴妃を迎え入れて戴きます」
…朝議はその一言で解散となった。
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