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亜夫あふは首を傾げ、手の中の石と目の前に立つ男とを見比べた。
剣だこのできた無骨な手の中には、黒い石がひとつある。先程の賭けで手に入れたそれは、もちろん、持ち主の了解を得ずに掠め取ってきたもの。囲碁は苦手だったが、今日はなぜか勝ってしまった。その記念に。後日、対戦相手は石が足りぬと、驚くかもしれないな、と思った。
囲碁でも将棋でも良い。彼は運良く勝てた時には、その記念にこっそりと石や駒を持ち帰るのだ。

「それで?俺に何か用か?」
「だから、石の数を聞きにきた」

亜夫は、軽く笑った。

「碁石の数なら二十に満たぬ」
「それでは、将棋の駒は?」
「それなら七十までは数えたが、さて」

目の前の怪しげな男は、それに小さく溜息をついた。どうやら亜夫の応えがお気に召さなかったらしい。
それでも、彼は意に介す事もなく、玻璃はり(ガラス)の盃を持ってちびりちびりと酒を舐めた。
露台(バルコニー)からの不法侵入者は小さく息をついてから、つかつかと卓子に歩み寄り、向かい合った席に腰を下ろす。

「俺は主の命で此処に来た」
「ほう。何をしに?」
「それがわからぬ」

一口寄越せ、と不審人物が言うので、空いている杯に酒を注いで差し出してやる。
呟くように礼を言って亜夫の手から杯を受け取った男は、一息に呷った。

「貴様が集めたものが百を越えたら持って帰る様に言われた」
「何を?」
「貴様の娘を」

亜夫は瞠目した。

「それはまた、穏やかではないな」
「まあ、主の性格上やむを得ぬ」
「それで、俺の娘を持って帰ってどうするつもりだ?」

男は今度は首を傾げた。

「わからぬ。知らぬと言うのが正確か。主の望みを叶えるのが仕事だから、主が何を思っているかには、まったく興味ない」

答えて、今度は手ずから酒を注ぐ。遠慮という言葉を知らないらしい。
亜夫は小さく笑った。
酒を飲むと妙に投げ遣りになるのは自分の悪い癖だと思いつつ、それでも誘拐予定を白状した目の前の男を叩き出す気にはなれなかった。隣室で寝ている娘の寝顔を思い出そうとしたが、結局それもままならなかった。

「娘を連れて、どこへ行く?」
「主の処へ」
「その主が何処にいるか訊いている」

これには男は肩を竦めた。

「貴様の知らぬ、遠き所よ」

その返答に亜夫は妙に可笑しくなって、咽喉の奥で笑った。
世界には遠い処など無数にある。
玉座は遠い。西域は遠い。隣県に行くのも遥か遠い。人の心は尚遠い。
目の前の男は、何が面白くて亜夫が笑っているのかわからないらしく、戸惑った表情だ。
それで、つい、その気になった。

「碁盤と碁石を用意しよう」
「ほう?」
「凡そ、あと十勝で百を越える。お前さんが俺に十回負けたら娘をやる」
「ふぅむ。まあ、良いだろう」

その代わり、と亜夫は最後の酒を呷った。

「刻限は日の出まで。それまでに十敗してみせてくれ。言っておくが、俺は超弩級に囲碁が下手糞だぞ」






「―――――――と言う訳じゃ」
「…は?」

少女は顔を顰めて訊き返した。
目の前の厚化粧の女から聞かされた話の内容は、さっぱり彼女の疑問に答えていない。
此処は何処で、貴方は誰で、私は如何して此処にいるの。
一番最初に彼女が発した質問を、目の前の女は果たして理解していたのだろうか、と心配になった。
だが、それは杞憂だった。

「つまり、其方の父上とわらわの臣が囲碁をして、其方の父上が勝った、と」
「…つまり?」
「えぇい。物分りの悪い娘じゃな」

女は袍袖そでで口許を隠す。

「つまり其方は御父君の賭けの結果、妾の奴隷になったのじゃ」
「奴…えぇ!?」
「ほほほほほ。もはや其方は妾のもの。煮るも焼くも妾の自由じゃ」

高らかに笑われて少女は愕然とした。
彼女の父親は確かに酔狂の過ぎる−ぶっちゃけ洒落にならない程、度が過ぎる−人であったが、まさか娘を賭ける様な真似をするとは思わなかった。しかも、苦手の囲碁で。挙句、十勝。
目の前が真っ暗になったが、少女は必死に踏み止まった。

「奴隷…奴隷ですって?」
「そうじゃ」
「冗談じゃないわよ!」
「そう。冗談では済まぬのじゃ」

怒髪天を衝く勢いで少女が怒鳴りつけるも、女はビクともしなかった。
眉間に皺を寄せ、女はそっと目を閉じた。そのこめかみの辺りに青筋を認めて、少女は思わず口を噤む。妙な迫力があった。

「其方には是非その激しい気性で闘って貰わねばならぬ相手がおる。何としても勝って貰わねばならぬ相手じゃ。あやつに勝てる娘を探すため、妾は蓬莱ほうらいは元より倭国わこくから韓国はんこく華国かこくまで探し回ったのじゃ。これはと思える少女に出会うまで…」
「あ、あやつ…って?」
「そうじゃ!」

女が、かっと目を見開く。驚いて少女は半歩退いた。
後々、彼女は此処で反駁できず迫力に押されてしまったことを後悔することになる。だが、それは、また、後日のお話。

武陵王君 隆崇ぶりょうおうくん りゅうしゅう…あやつを何としても真っ当な天子にとする為にも、其方、貴妃として奴の傍に仕えるのじゃ!勿論、其方に選択肢はないと心得よ!」





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